今夏の52試合のうち、1試合90分の規定により、4イニングで決着したゲームは3試合ある。そのうち2試合を経験したのは東京第2代表、レッドサンズだった。過去2回優勝の多賀少年野球クラブ(滋賀)との3回戦は、スコアボードに「0」が2つのみという、得点の奪い合いに。その写真ダイジェストと、事後取材も加えた敗軍のサイドストーリーをお届けしよう。
(写真=福地和男、大久保克哉/文=大久保克哉)
■3回戦
◇8月10日◇坊っちゃんスタジアム
▽第1試合

多賀・松下が3安打1本塁打
[滋賀]9大会連続19回目
多賀少年野球クラブ
3704=14
2410=7
レッドサンズ
[東京第2]3年ぶり5回目
【多】岸本、生川、岸本-生川、岸本、生川
【レ】大塚、小池、並木、原川、並木-原川、加藤、原川
本塁打/松下(多)、山本、武内(レ)
二塁打/武内、原川、並木(レ)

1回表、松下慶の先頭打者安打に四球、敵失で先制した多賀はなお、無死二、三塁から四番・生川友翔の遊ゴロ㊤と、続く村井大翔の中前打㊦で計3点


1回裏、レッドは神谷駿の先頭打者安打㊤に四球、三番・武内瑛汰の二塁打で1点。さらに五番・加藤光志朗の右犠飛㊦で3対2に


2回表、多賀は先頭の松下がソロアーチ㊤。さらに無死満塁から村井の左前打と六番・西村叶惟(5年)の三ゴロ㊦でまず3点


2回表、6対2とリードを広げた多賀はなお、一死満塁から福田賢太郎㊤と西堀太晴主将の連続スクイズと敵失で4点追加。二番・近藤修二(5年)の左前タイムリー㊦でイニング7点目


2回裏、レッドは七番・山本駿翔のソロアーチ㊤と、武内の3ラン㊦で4点差に迫る


計12四死球と大荒れのレッド投手陣だったが、3回表は並木恒太朗㊤が3者凡退に。3回裏に10対7まで詰められた多賀は4回表、松下㊦と生川の2点タイムリーで8点差とし、逃げ切った
―Team inside story―
翼を失おうとも“不死鳥”が如く

レッドサンズ
プレイボールの時刻から、すでに2時間が過ぎていた(規定は90分)。これが最後の攻撃になる――4回裏を迎えたレッドサンズの面々は、口にせずとも覚悟を決めていたという。そして背番号30番が、全員にこう呼び掛けた。
「試合前に『今日は打ち合いになる。15対14で勝とうゼ!!』って話をしたよね。あと8点、取るよ!」


スコアは7対14。絶望的な数値だが、攻撃の破壊力は上回っていた。8安打で長打1本の多賀少年野球クラブに対して、レッドは3回までに7安打で5本の長打。三番の武内瑛汰と七番の山本駿翔は、サク越えアーチを放っていた。
4回裏の先頭は、120㎞の速球も苦にしない二番・原川瑛仁主将だ。2回には中越え二塁打(=㊦写真)を放っていたが、ここは空振り三振。続く武内は、タイムリー二塁打と3ランに続く3打席目だったが、遊ゴロに倒れて二死走者なし。


さしもの大激戦区・東京の第2代表も、万事休したか。三塁ベンチを出てきた門田憲治監督は、四番の齋藤叶翔に代打を送った。背番号0の園田咲生(=㊦写真)。出場は1回戦の守備固め以来で、今大会初打席だ。だからといって、敗北寸前にありがちな“思い出づくり“を主とする温情さい配ではなかった。

何しろこの園田、全国予選では中堅手のレギュラーだったのだ。基本に忠実なセンター返しの打球もよく目についた。迎えた夢舞台の初打席でも、フルカウントから鋭い打球をレフト前へ。そして一塁ベースに戻りながら、どうだ!!と言わんばかりのポーズで吠えた(=㊦写真)。

すると、ベンチがまた動く。元々は投打の中心にいた背番号18、竹内勇泰が代走に(=㊦写真)。こちらはケガによるノースローが半年以上も続いてきたが、園田と同じく1回戦の最終回に外野の守備に就いていた。
そして打席には、背番号6の加藤光志朗。全国予選は控えに甘んじたが、身のこなしが光る内野手で、全国では1回戦から五番・二塁でフル出場。この3回戦は第1打席で右犠飛、第2打席に左前打を放っていた。迎えた第3打席も三遊間を破り、二死一、二塁とした(=㊦写真)。

結局、反撃はそこで断たれたものの、層の厚みとハイレベルを物語る散り際だった。門田監督は後日、しみじみとこう話している。
「もちろん、もっと勝ちたかったというのもあります。でも、よく2つ勝ったな、というのが正直なところです」
生ける“火の鳥”
『不死鳥の如く』
これは門田監督の母校・東大の応援部を代表するオリジナル曲だ。その雄々しいメロディは、伝統の六大学野球だけではなく、高校野球でも“東大絡み”で耳にすることがままある。

筆者が知る限り、レッドの応援席で奏でられたことはないが、今夏のチームはまさしく“不死鳥”を思わせた。翼を失ったも同然の状態で、1回戦は10対0の完勝、2回戦はV候補のラウンダース(山梨)に打ち勝った。
彼らの「翼」は、投手の二枚看板だ。全国予選で柱となった右腕の神谷駿が主翼ならば、同じく投打二刀流の右腕・武内は尾翼といったところ。

2026年6月13日、全日本学童東京予選決勝より。神谷㊤と武内㊦

ところが、8月の本番が迫るなかで、二枚看板が相次いで故障。神谷は肘、武内は肩を痛めて投げられない状態に。本人と保護者と指揮官の話し合いの末、全国大会では神谷は中堅手として、武内は遊撃手でプレーすることに。
マウンドには立てない主翼に、指揮官はそれでもエース番号の「1」を託した。「地区予選のときからピッチャー陣は甲乙つけがたくて、背番号1は誰もつけてなかったんです。『全国を決めたら渡す』と宣言してきて。神谷は野球肘になってしまいましたけど、彼がいなければ全国に行けなかったかもしれない。それくらい、東京大会(最終予選)では主戦として働いてくれたので」(門田監督)

まともに投げられない2人は、それぞれ野手としてチームに貢献した。いくらか軽症で遊撃守備を無難にこなす武内(=㊤写真)が、実は全力スローをしていない事実を知る部外者は少なかったはず。中堅を守る神谷(=㊦写真)の返球はグラブトスだったが、長打2本で勝利に貢献した2回戦後にはこう話していた。
「アウトか、セーフか、というときだけは右腕でトスします」

翼を失おうとも、不死鳥は飛翔する。全国予選の最中まで、激しいポジション争いをしてきたチームは、大いに底上げされていた。6年生14人、5年生11人の総力戦で夢舞台に臨み、3回戦まで進出。

小兵ながら下級生時代はエース格だった、右腕の大塚結心(=㊤写真)が2回戦で完投勝利。3回戦は投手交代が4度、マスクをかぶる原川主将までがスクランブル登板したが、トータル12四死球と苦しんだ。そのなかで、本来は二遊間を守る並木恒太朗が軸となって粘投。
また打線と、途中出場組の奮起は先述の通り。2回表に2対10と大きく突き放されたものの、3回裏には3点差まで詰め寄っていた。

3回裏の攻撃では足技も光った。一走の山本は投球のワンバンを見て二塁を陥れ㊤、九番・並木のテキサス安打で生還。打った並木は無人の二塁まで進んでガッツポーズ㊦

「神谷と武内が投げられない状況のなかで、ホントに2つもよく勝ちました。試合後はみんな泣いている状態のミーティングで、一人ひとりが想いを口に…それであの2人が『申し訳なかった』と。負けるまで、そういう素振りは見られなかったんですけど、心の中ではずっと耐えていた、悔しくて泣いていたんだなと…」(門田監督)
4年時からの3年計画をともに歩んできた背番号30も、涙をこぼしながら6年生をそれぞれ労った。手負いの神谷と武内には「キミたちのおかげで全国大会も今もある」と。


敗退後のミーティングも終えた午後。6年生たちは四国で最後の思い出にと、こぞってプールなどへ繰り出した。中には監督の三男坊で、正三塁手の座を守り抜いた門田千資(=㊤写真)もいたが、指揮官は「父親」の顔には戻らなかった。
3年計画を振り返るには、気持ちの整理がまだできていない。そこへ、5年生たちから「練習したいです!」との志願があったいう。
「2時間半から3時間くらい、5年生と保護者で練習しました。もともと最終日まで、練習用のグラウンドを押さえてましたし。5年生は13人、登録25人に入れなかった2人もスタンドで応援してましたし、保護者も全員、愛媛に来ていたんです」(門田監督)

帰京した6年生たちは、東京都学童王座決定戦で優勝。この大会は全国予選の上位陣を中心に覇を競うもので、8月末の決勝では、都知事杯初Vの用賀ベアーズに5対3で勝利している。
「絶対に来年、またここに!」
四国・愛媛の滞在最終日、5年生たちと白球を追った門田監督は、その想いを強くしたという。来年度からは、息子はもうチームにいない。“不死鳥”の第二幕は、6年生チームと同時進行する秋の新チームから始まる。